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空白の4年間 VOL.20

愛犬モモとの記憶がとても薄い、空白の4年間があります。
それは、2003年~2007年頃、モモが2歳から6歳の頃でしょうか。
いや、もっと長かったかもしれません・・・・。
自分の事に精一杯で、モモに対して充分に愛情を示してあげられませんでした。
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私が31歳の頃、11年も続いた長い恋愛に終止符を打ちました。
心配を掛け続けている両親に対しても素直に接することができず、いつも複雑な想いを抱えていた当時の私。

今思うと、とても情緒不安定で、地に足が付いていなかったし、エゴや感情の波にいつも振り回されていました。
若気の至りでは片付けられないお恥ずかしいトラブルの数々・・・
自分の膨大なエネルギーのやり場や取り扱い方に困惑して、行動も、思考も、感情も、エネルギー体も無闇にうごき回っていました。

感受性が敏感な事も全く自覚なし、クライアントさんとのエネルギーの境界線も曖昧で、プロテクトも浄化にも無頓着でした。
自分の本質も全く理解しないで、いつも問題を抱えて解決するために必死でした。

家族も崩壊寸前で、母は心配とストレスで持病の頻脈が悪化し、2005年に心臓の手術をしました。
立て続けに2006年は大腸癌を患い、ステージ3Bで、私は一瞬母の死を覚悟しなければならないと思いました。

病気の母、ネガティブ思考で固まった鬱状態の父、90歳を過ぎた我儘放題の祖母の世話で明け暮れる日々。
父からは「自分勝手な娘だ」と決めつけられ、家庭の中で愛の循環を全く感じれず、どこに居ても居心地が悪かったです。

お店の経営やセラピストの仕事、スタッフとの人間関係でも毎日クタクタでした。

ただ、母の病気に関しては、肝心な所での選択が最善だったと思います。
癌を患う前に心臓の手術をしていた事、抗がん剤治療ではなく免疫治療を選択したことが功を奏し、母は病気と闘うことなく健やかさを徐々に取り戻して行きました。

母の病気の原因であるストレスを軽減する為の策を家族と話し合い、母は家業の手伝いを止めて、主婦業に専念するようになりました。
自分の時間も少しずつ増え、身体への負担も軽くなり、何に対しても希望を見出せずにいた母が、人生を再構築する力を取り戻して行きました。

母が退院して間もなく、妹が東京で出会った男性と結婚して、子供を授かりました。
家族に縛られていると感じていた私は、妹の報告を受けて、最初嫉妬に苦しみましたが、その都度友達の力を借りて葛藤を乗り越えてきました。

妹の長女あみは、一目見た瞬間、深い魂の縁を感じました。
母性本能だけではなく、子供心を思い出させてくれたあみの存在に、荒んでいた私の心はとても癒されました。
こんな素晴らしい体験をプレゼントしてくれた妹にも心から感謝しました。
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でもふとした時に、強烈な孤独感に襲われることがありました。

そんな時、いつも私に寄り添ってくれていたのがモモです。
私が自分の感情をコントロールするのに必死で、モモに対して無関心でいるのに、モモは決して私を見放す事無くいつも私を見つめてくれていました。
私の帰りを待ちわびて、たとえ思いが報われなくても耐え忍び、待ち続けてくれていました。
そして、見返りを求めずに、家族皆に愛を捧げ続けてくれました。

私が久しぶりに実家に帰り、自分を鏡に映しているいるかのような寂しげなモモに気づき、マッサージをしてあげたり、二人で庭を眺めながらボーっとしている時間が、この頃のモモにとっては束の間の幸せなひと時だった事でしょう。
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