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"プルメリア″ が導いてくれた "アロハスピリット″ VOL.22

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私のサロンは「PLUMERIA」という南国に咲くお花の名前です。
実は、この名前は、開業前に行った占いのアドバイスを参考に決めました。
そのアドバイスとは、『サロン名に「ハ」行か「マ」行の植物の名前を付けると商売繁盛』でした(#^^#)

「ヒヤシンス・ヒマワリ・ハイビスカス・マリーゴールド・マーガレット・ミモザ・ムスカリ・メリッサー・・・・????」色々悩みましたが、なかなかピンと来る名前が思いつきませんでした。
そんなある日、大切なお友達から、美しいお花の素敵なハガキが届きました。

「プルメリアか~♪」と静かに呟きながら・・・・「これだ!!」と閃きました。
プルメリアの白い花びら一枚一枚が、優しく品良く重なり合うように、これからサロンで出会う方々お一人お一人とのご縁が重なり合って繋がっていったらいいなぁ~♪
そして、青空の下で芳しい香りを漂わせ、魅力的で存在感のあるプルメリアの木のようになりますように♡と願いを込めて名付けました。

という訳で、当時の私はハワイやフラが特別好きだったわけではありませんでした。
が、サロン名からハワイをイメージされる方が多く、いつしかフラダンサーのお客様がサロンに集まるようになりました。
その流れに乗って、フラを習い始めたり、ロミロミマッサージに興味を持つようになりました。

そう言えば、ハワイへ行くたびに、黒髪が豊かで長髪だった私は、「君はフラダンサーかい?」と間違えられていたことも想い出しました。

そんな訳で、私を変えてくれた古代のアロハスピリットとの教えに導いてくれたのは、偶然のような必然で名付けた「PLUMERIA」というサロン名だったのです。

2008年、私は当時ハワイ島に住んでいたカミムラマリコさんが主催するロミロミマッサージのトレーニング合宿に参加しました。
ハワイへ旅立つ前日、義理の弟(妹の夫)が、大切にスクラップしていた記事を手渡してくれました。
ハワイアンのリーワイという人の言葉で、今でも私の心に深く刻まれています。
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アロハの心とは、無であることだ。心そのものがemptyであることが、いい状態だ。
普通「アロハ」というと、それはハワイ語の挨拶の言葉だと思われている。
...しかし、ただの挨拶ではなく、深い意味がある。我々の文化・宗教・価値のすべてのあり方の根源がアロハなのだ。

アロハという言葉は使う者の心がこもらなければならない。アロハとは心の状態そのものなのだ。
ハワイアンにとっての本来の「アロハ」は、「愛」「信用」「誇り」「智慧」そしてこれがいちばん重要なのだが・・・・オハナ(family家族)であることの深い理解の気持ちとしての意味を持っている。

ハワイアンが「アロハ」と言う時、それは単に他者を受け入れているのではなく、自分の心の中の最も重要な部分を、自分という精神そのものを、エナジーとして相手に与えるのだ。
本当にうれしい時、本当に何かを真実だとして感じられた時、その心がアロハという言葉になるのだ。
だからその時々によって、アロハは「good-bye」にもなるし、「I love you」にも「thank you」にもなる。相手への最大の賛辞にもなる。心がつながる際の、喜びの言葉なのだ。

自然と自分がひとつになった時の感激もアロハだし、人と心がつながった状態も、本当のアロハだ。
そして、自然や人とつながった状態が、オハナ(family)なのだ。
生かされていることへの根源への感謝の気持ちがアロハだ。
山に住む神、海に住む神、森に住む神、火山の神・・・すべてへの感謝の気持ちがアロハだ。

アロハとは、無である心の状態だ。
自然から受け取るエナジーなのだ。
我々を取り巻く自然から、そういう力を得る事ができる。
それは神の贈り物であり、元々そこにあるのだから、我々はただ感じとればいい。
ただ心を透明に、本当に素直にいればいい。
自分でいればそれでいいのだ。
シンプルなものだ。
自然とのつながりを感じられれば、自分は常にクリアーに保たれる。

アロハとは愛。兄弟。
無になれば本当に理解できる。
地球における幸福の意味がわかる。
感謝の気持ちがあれば、邪心などすぐに消える。
自由とは、制限がない。欲望がない。
しかし、大人になってくると、自分とは違う皮をまとうようになってくる。
そうなったらもう、自由ではない。
自分で癒さない限り、その不自由が続く。

まといつけてしまった物を、脱げばいい。
心を持つこと。
そうすれば簡単に脱げる。
そして深い満足感を得ることができる。

皆、自分が握りしめているものを離してしまって、ケイキ(子供)になればいい。
我々はそもそも自然の子供なのだから。
母なる地球の子であり、聖なる神の子なのだから。
そして神は、子供である自分の中にある。
それがわかれば、真実がわかる。心が壊れない。
そして愛を持つようになり、慈しみの心が生まれる。
その愛こそがアロハだ。

自然のすべてが神であり、その自然から何かを受け取る心がアロハだ。
アロハでいることが本来の自分で、その人間によるオハナこそが、パラダイスなのだ。

しかし今は、本当に大切なものが失われている。
何かによって滅ぼされる、その極みにある。
自然が消えれば、心までも消えてしまうのだ。

その罪深さを知ってほしい。

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このハワイの旅から、私は握りしめていた大きなものを手放し、本来の自分自身を取り戻していくことになりました。
そして、自然と繋がり、モモとの繋がりが次第に深くなっていくのです。

続きはまた。