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新たな扉が開く VOL.33

誤嚥性肺炎で入院した祖母は2度危篤になりつつも、見事に復活し、退院できるまで元気になりました。
今まで介護施設に入ることやデイサービスに行くことすら頑なに拒んでいた祖母が、自力でトイレやお風呂に行くことが難しくなり、自ら介護施設へ入ることを希望しました。
運良く、祖母にピッタリの施設に空きがあり、退院した翌日には施設に入居できました。

母も骨折している状況だったので、家族や親戚も自宅での介護を諦めるしかなく、スムーズに新しい環境へシフトしました。
祖母はいつも自分の部屋の窓からモモにおやつをあげていたので、モモは祖母が居なのくなったことをとても寂しそうにしていました。
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祖母の認知症は新しい環境を受け入れ、暮らしに慣れた頃から少しずつ緩和されていきました。
母の怪我も、この苦境で無理やり動いたのがリハビリになったようで、思いのほか早く回復しました。

大きなデトックス期間を経て、皆が少し身軽になり、新しい扉が開いたのを感じました。

この一件が終息して間もなく、以前から準備していた自宅の一角にある建物の改築工事始まりました。
大正時代の趣きを残したこの建物は、大切な幼少期の想い出があり、私は兼ねてよりサロンにしたいと父に頼んでいましたが、ずっと反対されていました。
祖母の監視から解き放たれたのは母だけではなく父もでした。
一家の主であっても、祖母の大きな影響力の下で家族がもめないようにバランスを取ってくれていたのでしょう。
祖母の監視が甘くなり始めた頃、父が改築工事を提案してくれました。

当時物置になっていた建物は、薄暗く蜘蛛の巣が張って足を踏み入れにくくなっていました。
友人の工務店さんと父が協力して、私の理想のサロンにするため尽力してくれました。
古くて汚い物を捨て、風と光が入り、ご先祖様が大切にされていた物をなるべく再利用して、古い物と新しい物が融合した素敵なサロンに仕上がりました。
停滞していた敷地の片隅が美しく整えられたことで、一気に土地のエネルギーが高まり、良い気が流れるようになりました。

私が実家の離れにサロンを作ったのは、自然に囲まれた静かな場所で、ヒーリングをしたいと思ったことと、結婚を諦めつつあったからです。
いつか両親の介護が必要になった時、サロンと住居が近ければ負担が軽くて済むかもしれないと思ったのも理由でした。

改築をした建物はかつて、曾祖父が地元に謡曲を広めるための稽古場として建てたそうです。
しかし、建築中に世界大恐慌で工事が滞ったり、太平洋戦争の時には東京から疎開してきた家族の住居になっていたこともありました。
その後、私の両親が結婚してからは住居になっており、私も大学へ進学する迄この建物で暮らしていました。

私が大学を卒業するタイミングで母屋は新築され、それ以降はすっかり物置になり年々朽ちていく一方でした。
しかし、美しく再生したことで、ご先祖様たちも大いに喜んでくれたようでした。
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そんな折、珍しく母からお見合いを薦められました。
若い頃はしょっちゅうあった見合い話も、40歳になると珍しく新鮮でした。
ですが、お見合いで結婚するつもりは全く無かったので、いつものごとく抵抗してみましたが「自分の巣を作りなさい」というメッセージを想い出し、今回はダメ元でお見合いをしてみるか・・・という上から目線の返事をしたのでした。

しかし、まさか本当に結婚するなんて思ってもみませんでした(笑)