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アロハとは

皆さま、お久しぶりです。お元気ですか?
アロマセラピー プルメリアから ハレ プルメリアに 転換して、
早いもので3カ月以上が経過しました。
「ボディー」「マインド」「スピリット」全てが完全にシフトするまで
想像以上に時間がかかり、ホームページやブログなどご案内がストップしていました。

今は、とても穏やかで心地よい環境が整い、順調な毎日を過ごしています。
平和な人生の流れを選択し、転換する事ができて、とてもハッピーです。
サポートして下さる全ての存在に、心から感謝しています。

先日、諏訪大社のお舟祭りに家族で行ってきました。
このお祭りは、諏訪大社の春宮と秋宮にお住まいになる、ヤサカトメの神様の御祭神を
お舟に乗せて春宮から秋宮にお運びするという目的があります。
ヤサカトメの神は、2月から7月までは春宮、8月から1月までは秋宮にお住まいになるそうです。
お舟の写真を撮ったところ、青紫の美しい光が、晴宮から舟に向って輝いているのが写っていました。
とても不思議ですが、高次元の光の存在を感じました。

3次元の世界から、少しずつ4次元、5次元の世界にシフトしつつあるという説があります。
私自身、日々様々なエネルギーを感じながら生活していますが、
以前にも増して、目に見える物と目に見えない物の両方が同等に大切だと感じさせられる出来事が起きます。
目には見えませんが、確実に波動(エネルギー)はあります。
そして、自分自身が発している波動(エネルギー)が、ポジティブなものかネガティブなものかを考えてみる必要があります。

自分が発しているエネルギーの質を上げることで、自分自身や周囲にとって素晴らしい影響を与える事ができると自覚することも重要です。これは、特別な人にだけではなく、全ての人にとってテーマです。

長年頑張ってきた駅前のサロンを手放して、田舎に移り静かなサロンで仕事をはじめた頃、
私自身が握りしめていたエゴやプライド、潜在意識がわーっと出てきて、苦しい体験をしました。
それを乗り越え、今を受け入れたら素の自分が現れてきて、ふーっと軽くなり、楽しくなりました。

頑張っている事が素晴らしいことではなく、プライドやエゴを満足させるための仕事がお役目ではなく、
自分の内側から湧き出てくる光を輝かせて、役立てる事が私の仕事です。

握りしめている物を手放せば、楽になります。

私の心に残る文章を抜粋します。
ハワイアンのリーワイという人の言葉です。

アロハの心とは、無であることだ。心そのものがemptyであることが、いい状態だ。
普通「アロハ」というと、それはハワイ語の挨拶の言葉だと思われている。
...しかし、ただの挨拶ではなく、深い意味がある。我々の文化・宗教・価値のすべてのあり方の根源がアロハなのだ。

アロハという言葉は使う者の心がこもらなければならない。アロハとは心の状態そのものなのだ。

ハワイアンにとっての本来の「アロハ」は、「愛」「信用」「誇り」「智慧」そしてこれがいちばん重要なのだが・・・・オハナ(family家族)であることの深い理解の気持ちとしての意味を持っている。

ハワイアンが「アロハ」と言う時、それは単に他者を受け入れているのではなく、自分の心の中の最も重要な部分を、自分という精神そのものを、エナジーとして相手に与えるのだ。本当にうれしい時、本当に何かを真実だとして感じられた時、その心がアロハという言葉になるのだ。だからその時々によって、アロハは「good-bye」にもなるし、「I love you」にも「thank you」にもなる。相手への最大の賛辞にもなる。心がつながる際の、喜びの言葉なのだ。

自然と自分がひとつになった時の感激もアロハだし、人と心がつながった状態も、本当のアロハだ。そして、自然や人とつながった状態が、オハナ(family)なのだ。

生かされていることへの根源への感謝の気持ちがアロハだ。

山に住む神、海に住む神、森に住む神、火山の神・・・すべてへの感謝の気持ちがアロハだ。

アロハとは、無である心の状態だ。自然から受け取るエナジーなのだ。我々を取り巻く自然から、そういう力を得る事ができる。それは神の贈り物であり、元々そこにあるのだから、我々はただ感じとればいい。ただ心を透明に、本当に素直にいればいい。自分でいればそれでいいのだ。シンプルなものだ。自然とのつながりを感じられれば、自分は常にクリアーに保たれる。

アロハとは愛。兄弟。無になれば本当に理解できる。地球における幸福の意味がわかる。

感謝の気持ちがあれば、邪心などすぐに消える。

自由とは、制限がない。欲望がない。

しかし、大人になってくると、自分とは違う皮をまとうようになってくる。そうなったらもう、自由ではない。自分で癒さない限り、その不自由が続く。

まといつけてしまった物を、脱げばいい。心を持つこと。そうすれば簡単に脱げる。そして深い満足感を得ることができる。皆、自分が握りしめているものを離してしまって、ケイキ(子供)になればいい。我々はそもそも自然の子供なのだから。母なる地球の子であり、聖なる神の子なのだから。そして神は、子供である自分の中にある。それがわかれば、真実がわかる。心が壊れない。

そして愛を持つようになり、慈しみの心が生まれる。その愛こそがアロハだ。

自然のすべてが神であり、その自然から何かを受け取る心がアロハだ。

アロハでいることが本来の自分で、その人間によるオハナこそが、パラダイスなのだ。

しかし今は、本当に大切なものが失われている。何かによって滅ぼされる、その極みにある。自然が消えれば、心までも消えてしまうのだ。

その罪深さを知ってほしい。
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